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   お塩ちゃん夕張店は 天日海塩750g総販売元です

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今、だからこそ、自宅で味噌を作る事の大切さ

今、だからこそ、自宅で味噌を作る事の大切さ。

180日熟成の味噌の方が抑制効果は大きかった。

放射能だけではなく、昔から、ガンの発生率を下げる、
生活習慣病を予防する、骨粗しょう症予防や老化を防ぐなど、
味噌汁の良さは生活の中で証明されてきています。


熟成
発酵食品である味噌は仕込み直後の味噌に比べて
260 日間熟成させることにより
放射線照射後の小腸腺嵩再生や生存率を高めた。
これは、マウスを使っての実験結果です。
マウスでの実験ですが線量を上げていっても味噌をエサに混ぜた群の
生存率が高いという結果が出たそうです。
除染というより、抵抗力とでもいうのでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=0T1J6LUHQdg

現在、スーパーなどで、販売されている味噌のほとんどは、
安く消費者の元へ届けるというニーズから、
ほとんどの商品は工場で作られ、
温醸法(おんじょうほう)といって発酵を強制的に早め
3ヶ月ほどで完成させています。
酒精:醸造用の発酵アルコールなど。

頼りになります「天日海塩750」


秋月辰一郎医師 著  体質と食物

手前みそを作ろう

手前味噌とは、自分で自分のことを褒めること。
自慢。手前みそ。語源・由来
手前味噌という際の「手前」は、「自分のすぐ前」という意味ではなく、
「自家製」や「自前」、また一人称の「自分」のことである。
手前味噌の「味噌」は食品の味噌のことだが、
現代でも「ポイント」の意味で「味噌」が使われるように、
「味噌」には「趣向をこらしたところ」の意味がある。これは、各家庭で
味噌を作り、それぞれが良い味を出すために工夫をこらしていたためで、
近世には「趣向をこらしたところ」の意味から、人に自慢する様子にも「味噌」が使われた。
「手前どもの味噌は....」と自家製の味噌の味を自慢することから、
「手前味噌」という言葉が生じたとするのも
間違いではないが、「味噌」という言葉自体に「自慢」の意味が含まれることから、
自分を自慢する言葉として「手前味噌」が使われるようになったと考える方が良いであろう。























===私は何とかして病弱からのがれたいと医学を求めた。
本当に私は、自分の生命を賭けて医学をした。
今、味噌汁にたどりついた。毎朝の味噌汁である。
これが健・不便の鍵と思う。
===59ページ「結論」より
小序
私は研究室にこもって、科学実験のみをしている学者ではない。
また学術論文を次々と発表する学者でもない。
医学に志して三十年間、病人を診察し、また自ら病気になったりもした。
その間、たくさんの病人や虚弱児を診て、病の治し難く、
病の因の遠いのを痛感している。
体質、そして食物、そういった問題を考えつづけてきた。
日々の食物が、私達の健康に、ひいては、病気にかかった場合の軽重の差、
薬物の効果如何、治癒能力にどんなに大切なものであるか、
しみじみと毎日毎日感じている。
食養生、食物の研究を巡りめぐつて、味噌にたどりついた。
味噌は、日本人の食物のかなめであると知った。
これは、日本の国土、日本人の体質によって受け継がれた伝承のものである。
ある思想家がプラトンからスコラ哲学、カント、ヘーゲル、マルクス、
ベルグソンを遍歴して道元、親鸞に帰したのに似ている。
味噌は科学以前のものであった。
しかも科学によって証せられるものである。
                 秋 月 辰一郎   聖フランシスコ病院
結論
人間の問題は、
それが生命、教育、疾病のどれをみても同じく体質の問題に帰する。
体質は、
生れた時に受け継いだものと我々が日々創っているものとがある。
この創るものは、環境であり、食物である。
食物はその住んでいる土地に密接な関係がある。
特に日本のごとく特殊な島嶼国、
モンスーン地帯とシベリヤ寒大陸の中間にある稀な風土は、
なおその食生活に特殊性と伝統を持っている。
ここに民族の伝承ということがある。
長御食、遠御食という語がある。
先祖代々長く続いた食物は、それだけに尊いものがある。
民族の知恵、先人の知恵がこもっている。
科学的に証明する、しないは、この後の問題、私達の責任である。
科学的に証明できないからといって捨てて省みないのは逆の順である。
五穀、味噂類、これら食品は、日本人の血であり肉である。
言いかえると、この五穀と味暗を尊重して、生命の親として、
今まで伝えて来たからこそ、
日本人はこの島嶼国に数千年繁栄してきたのである。
何故この味噌が科学的に立証されず、また尊重もされなかったのか。
それは、私達の学んでいる医学は、
日本で近々百年に充たないもので、
しかも戦前はドイツ、戦後は米国を師として、学ぶに急であったためである。
発熱すると、牛乳、半熟の卵、パンを食べるよう医師が指示するのは、
ドイツの書物の翻訳であった。
私が患者に味噌汁、梅干、うどん、そうめんと言うと患者や家族は驚いている。
私を「なぁんだ、この医者は勉強してないな」と思う。
実際、うどんや豆腐の味噌汁が、発熱した時はいちばん食べやすいと、
自分で食べているのに気がつかないのである。
身体の弱い子を心配して母親が私に相談する。
「この子は、身体が弱くて、病気ばかりしています。
牛乳や卵やバターは嫌いです。困ります」と訴える。
私は「わかめの味噌汁を毎週二度くらい、
あとは野菜や油揚を入れた味噌汁を毎朝欠かさず食べさせなさい」と教える。
母親は「なぁんだ、味噌汁か」という顔をしている。
味噂汁なんか、食べても食べなくてもすむものだと考えている。
私は、物心がついて以来、痛気ばかりしてきた。
母親や家族にずいぶん心配をかけてきた。
二十歳までは、寿命がもつまいと言われた。
二十歳になると三十歳までは生きまいとみな考えた。
私は何とかして病弱からのがれたいと医学を求めた。
本当に私は、自分の生命を賭けて医学をした。
今、味噌汁にたどりついた。毎朝の味噌汁である。
これが健・不便の鍵と思う。
道は爾きにあり、之を遠きに求む。
道は易きにあり、之を難きに求む、という。
道は近きにあり、須央も離るべからず、離るべきは道に非ず、という。
人生の鍵はそこにある。